「森の循環」を体現した住友館プロジェクトの舞台裏とこれから
大阪・関西万博「住友館」インタビュー 前編
2025年大阪・関西万博で住友グループが出展した「住友館」は、館内に作られた森を来場者がランタンを持って巡る体験型プログラム「UNKNOWN FOREST 誰も知らない、いのちの物語」で人気を博しましたが、じつはパビリオンの建設から万博での植林体験、さらには記念本『日本の森の歩き方』の出版に至るまで展示プログラムを超えた「森の循環」を体現するプロジェクトでした。この森の大切さを伝える一貫したストーリーはどのように生まれたのでしょうか。
万博終了から一年が経った今、このプロジェクトに携わった住友 EXPO2025 推進委員会 事務局の西條さん、寺島さん、総合プロデュースを担った電通ライブ チームメンバーの本間さん、海邊さんに、住友館のプロジェクトにおける「森の循環」の全貌と込められた想い、これからについてお話を伺いました。
西條浩史さん
住友 EXPO2025 推進委員会 事務局長。
住友商事所属で、住友館プロジェクトの企画・運営を統括。2021年の出展決定から2025年の万博終了まで、5年間にわたってプロジェクトをリードした。
寺島英之さん
住友 EXPO2025 推進委員会 事務局 次長。
住友商事所属で、住友館プロジェクトの企画・総務・広報・建築を担当。2022年6月から2025年の万博終了まで、約3年間にわたってプロジェクト事務局業務に参画した。
本間誠也さん
電通ライブ クリエイティブディレクター。
住友館の総合プロデュース業務の中で設計・建築・展示工事を担当し、4年間にわたってプロジェクトに携わった。
海邊可奈子さん
電通ライブ プロジェクトメンバー。
入社5年目で約3年間このプロジェクトに関わり、広報プロモーション・住友館イベント業務を担った。
「森に行ってみたい」その気持ちを残すレガシー施策
ーー 今回のインタビューは、万博「住友館」の出展記念本『日本の森の歩き方』に「新林」を掲載いただいたことがきっかけとなったのですが、この書籍はどのような経緯で制作されたのでしょうか。
海邊 「住友館」のプログラムをつくっていく中で、万博が終わった後のレガシー施策についても並行して考えていました。パビリオン建築で余った木材をベンチに活用したり、外壁を再利用するといったレガシーもありますが、来場者が住友館を体験したことで、森への関心が高まって日本各地の森に行ってみたい、という気持ちを残すこともレガシーの一つと考えました。

西條 もちろん万博なので、住友館へ来て楽しんでいただくのが一番なんですけど、その瞬間だけで終わらせずに、何かレガシーを残したいという想いがありました。その中で書籍制作を提案いただいて、非常に良いなということで制作することになりました。
海邊 編集は『地球の歩き方』編集部さんが行なっていますが、我々も住友館を作る上で、実際にどういった森があるのか、日本各地の森やその生態系などを調べたりしていましたので、それを編集部さんへ提供しながら一緒に作っていきました。
寺島 編集部の皆さんを住友の発展の礎である愛媛県の別子の森にお招きして、実際に山を登って体験取材いただきました。
住友グループの事業精神と森の歴史
ーー 住友グループと森の歴史は愛媛県の別子銅山*1という鉱山開発から始まりました。多くの鉱山開発の歴史がそうだったように、別子の森も開発によって荒廃していきましたが、住友家は、荒廃させた山を本格的に復元する植林事業を明治後期から継続して行なっていきました。近代化が進む当時においては、森林再生をさせるという発想自体、珍しいことだったと思います。どうしてそのような発想に至ったのでしょうか。
西條 これは住友の事業精神がベースになっています。「国土報恩(こくどほうおん)」と「自利利他公私一如(じりりたこうしいちにょ)」という言葉があるんですけども、住友の事業は、自分たちの利益だけじゃなくて、国や社会の利益にならなければいけませんよという内容なんです。そういうものが住友の事業精神の根底に流れているので、当時も事業精神に立ち戻って植林をしよう、青々とした森に還そうと「大造林計画*2」を始めました。それまでも植林をしていたようですが、この計画が始まってからは年間100万本、多い時は200万本を超える植林を長い間繰り返し、今では青々とした山に戻っています。


ーー 大規模に植林するというのも結構難しい作業だったのではないか、苗の確保だけでも大変だったのではと推察するのですが。
西條 専門技師を雇い入れて、山林計画を策定したと聞いています。私も詳しいノウハウはわかりませんが、今見ても結構急峻なところに植わってますから年間100万本から200万本植えるのはなかなか大変だったと思います。現在は、鹿の食害が大変で、今回の住友館で植林体験した苗を今年の秋ごろ植林していくのですが、その場所も鹿の被害がひどいらしいです。今でもそういう苦労がありますし、当時もいろいろな苦労があったんだろうなと思います。
*1 別子銅山:元禄4年(1691年)に開かれ、昭和48年(1973年)まで283年間続いた日本有数の銅山。この間に約70万トンの銅を産出し、産業の近代化、事業の多角化に貢献した一方で、銅精錬排ガスによる煙害や過度な伐採によって、1890年代には森林荒廃の危機に瀕した。
*2 大造林計画:明治27年(1894年)、当時の別子支配人であった伊庭貞剛(後の第2代総理事)によって失われた森を再生させる「大造林計画」が始まった。
森の循環の一部となるようなパビリオン建築
ーー 今回のパビリオン建築には、別子の森を始めとした社有林のスギやヒノキが使われていますが、どのような経緯があったのでしょうか。
本間 単に木材を調達して使うというよりも、森の循環の一部として建築を作るという考え方ができたら良いなと考えていました。
寺島 住友館を作るために住友の森から約1,000本の木を伐採し、万博で実施した植林体験プログラムで10,000本の苗木を植え、最終的に住友の森に植林するという計画を立てました。1,000本の木を使って10,000本の木を森に戻しましょうというストーリーです。
本間 また、木材は無駄なく使うことを前提に計画していきました。丸太から桂剥きのように薄くスライスし重ね合わせた合板を制作し建築の屋根に使い、残った剥き芯はベンチや手すりに使って廃棄物を出さない工夫をしていきました。合板は構造用合板と呼ばれる表に出てこない建材なのですが、パビリオンは万博が終わったら解体されることが決まっている仮設の建物ですので、普段は表層材に使えない合板を屋根材に使ってみるという試みをしています。そういった木による新しい表現にもチャレンジし、森の資源をちゃんと使って次に繋げることを設計から施工まで一貫して計画できました。
(住友館の建築については後編[近日公開予定] で詳しくご紹介します)

寺島 住友館の屋根の形はまさに別子の山嶺を再現してるんです。このシルエットが本当にできるのか?雨風の耐久性は?といったことを確認するため、本工事の前に会場近隣の住友倉庫さんの倉庫エリアの一部をお借りして、1分の1スケールで一部モックアップを作って試験をしました。夜になったらどんな色合いになるか、実際にライトを当てたりもしましたね。
西條 外壁に使ったスギ材は、前回の大阪万博の1970年に植えたスギを使っています。本間さんは実際に伐採現場まで行ってましたね。
ーー 伐採の様子をご覧になっていかがでしたか。
本間 率直に、迫力があって林業という仕事自体がかっこ良いなと思いました。どの木を伐るか、刃の入れ方とか…マニアックな感じになってしまいますが、一つ一つの職人さんの作業がかっこ良かったですね。
植林体験プログラムの舞台裏
ーー 来場者の反応はいかがでしたか。
西條 植林体験は当初、小学生ぐらいのお子さんを想定していましたが、実際にはもっと小さなお子さんからお年寄りまで、いろんな方に参加していただきました。今は土に触るとか、苗木に触るという機会自体が少なくなったので、みなさん非常に喜んでおられましたし、達成感も感じられたんじゃないかなと思います。本間さんが見学した伐採の様子も撮影して、植林体験プログラムの「森のがっこう」コーナーで子供たちに見てもらいました。
寺島 植林体験は住友館の中に入れるわけではないので、本当にお客様が来るのか心配していましたが、1日4回、1回15人ぐらいの規模感で開催してずっと満席でした。植えてもらった苗木は住友館の壁に展示し、ある程度数がまとまったら、高知県にある住友林業の育苗センターに運ぶという作業を繰り返し行いました。

ーー 枯らしてもいけないですし、なかなか緊張感がある作業ですね。
西條 植林体験プログラムについても、パビリオンと同様に実際にできるのか試験とリハーサルをしました。実際にポットに植えて水をどれぐらいやると良いのか、日差しで枯れないかといった試験をして、最適な土やポットを決めました。また、開幕の前には子供たちを呼んで植林体験の運営リハーサルもやりました。
寺島 植林体験への支援は、住友グループ各社から参加したボランティアに行ってもらいました。住友館内の説明アテンダント業務は電通ライブさんに委託しましたが、この部分はインハウスで手配して自力でやりました。

ーー グループ会社の社員ボランティアの方たちも初めて植林体験をしたわけですね。
寺島 トレーニングは住友林業さんにスーパーバイザーになっていただきました。ただ、住友林業さんの社員の中でも「すいません。私経理しかやったことないんです…」という方もいるので、各社集まって全員でトレーニングをしていきました(笑)。
西條 同じ住友グループでも全く知らない人が集まって、1ターン4日間やるんですが、4日間一緒にやるとすごい仲良くなって帰っていくんです。これも一つのレガシーだなと感じます。 植林というイベントを通じて色々なレガシーが生まれました。
万博が終わっても続く森の循環
ーー ここまで万博のプロジェクトを通して様々なレガシーが遺されたことを伺いましたが、これからはどのような活動をされていくのでしょうか。
西條 我々の仕事としてはここで終わりなのですが、苗木の様子は住友グループ広報委員会ホームページの「いのちの森 見守りコーナー」できちんと発信していく予定です。この「いのちの森」の看板は、住友館の外壁の木を再利用して作りました。外壁に使っていたスギは90cm角のパネルになっていましたので、取り外して色々なところで再利用しています。

西條 本当に急な斜面なんですが、写真の手前に石垣みたいなのが残ってますよね。これは社宅の基礎になってた石積みなんです。

寺島 現地の観光ツアー*3で、この植林現場をバスルートにしようというお話もいただいています。
*3 現在「東洋のマチュピチュ(東平)観光バスツアー」では、植林予定地を車内から見ることができる。
ーー 最後にパビリオン出展という大きなプロジェクトを経験を振り返ってどんな感想がありますか。また森林への関心がどのように変わったかお聞かせください。
西條 我々は商社に勤めているので、普段は直接個人のお客さんとやりとりすることもほとんどない職場です。万博・パビリオンの現場ではいろいろと言われることもあるんですけど、ネガティブなことだけではなくて、半年間にわたって毎日たくさんの顔を見てポジティブな反応をたくさんいただきました。本当に有意義な楽しい時間でした。
元々、山歩きに興味はあったのですが、『日本の森の歩き方』が出たことで、ここも行きたい、あそこも行きたいと、興味がもっと湧いてきました。

寺島 住友グループの委員会構成員19社とグループ協賛企業15社を含めると全34社と一緒に働けたというのが貴重な経験でした。また、これまでの会社のキャリアでは接点がなかった電通ライブさんといったいわゆるクリエイターの人たちと出会えたことも良い経験で新鮮でした。来館いただいた子供たちにも、森の循環の体験を忘れずに次の世代に語り継いでいただきたいなと思います。

本間 184日もの間、世界中の人たちが同じイメージで過ごすこともないですし、今まさに戦争がありますけど、あの小さな大阪の島の中で一体感を持ちながらそれぞれが楽しんでいる風景や世界観そのものが楽しかったです。 制作する過程では、事務局さんと一緒にああじゃないこうじゃないと言いながら、何もないところから作り上げて、お客さんからダイレクトに反応を受けることができたので、自分自身のキャリアにとっても良い経験だったと思います。 また、プロジェクトをきっかけとして森のことをたくさん知ることができました。キノコってこういう役割があるんだとか、本当に細かい話も含めて興味が出てきて、実際に屋久島に行ってみたりとかもしました。 これからもいろんな人に森のことを知ってもらいたいなと思います。
海邊 私も『日本の森の歩き方』を読んで、青森の奥入瀬渓谷に初めて一人で行ってみました。自分が関わったということももちろんありますが、森について知っていくと、日本各地の森それぞれの違いがあり、いろんな森に行ってみたいなと改めて思いました。 万博ではお客さんの声をダイレクトにいただけたのがすごく貴重でした。「いのち輝く未来社会のデザイン」という万博のテーマのもと、いろんな国や企業の方の考えが少しずつ違って表現されているところも面白いなと感じました。
住友と森の歩みは、鉱山開発で失われた森林の復元から始まりましたが、それは今日まで100年以上続く森林経営となり、森林経営そのものが企業文化となりました。数々の鉱山開発の歴史のなかでもユニークな進展を遂げた住友の森を大切にする想いは、今回の住友館プロジェクトを通して「楽しかった!」という記憶とともに多くの人に伝播し、万博後も続いていくことになりそうです。
(2026年3月24日 NCM大阪オフィスにて)





