カンゾウの新たな可能性を拓いた、100年の森づくり/ 王子薬用植物研究所株式会社 佐藤茂さん 波多江幸裕さん
企業それぞれの「森づくり」④-1
日本の製紙業界最大手の王子ホールディングス株式会社(以下、王子HD)は「木を使うものは木を植える義務がある」という理念考えのもと、100年以上の長きにわたり、植林による持続可能な森林経営を実践してきた。今回は、この森林を根幹とした資源循環型ビジネスから、国産の「カンゾウ(甘草)」を誕生させた王子薬用植物研究所株式会社(以下、王子薬用植物研究所:王子HD傘下)を訪ね、カンゾウ栽培と森づくりの関わりについてお話を伺った。
王子薬用植物研究所株式会社
事業本部 生産部 部長 佐藤茂さん
2000年入社。三重県亀山市の森林資源研究所(当時)で樹木研究に従事。2013年9月の医療植物研究室設立に関わり、カンゾウ栽培の研究を開始。
王子薬用植物研究所株式会社
事業本部 生産部 研究課 課長 波多江幸裕さん
2014年入社。医療植物研究室(東雲)で成分分析を担当。2015年から北海道下川町で本格的にカンゾウの栽培および育種研究を開始。
王子HDの社有林は日本一の面積を誇り、国内の18.8万haのうち北海道に約7割が集中している。今回訪れた王子薬用植物研究所も、北海道旭川市から約100km北上した名寄市(本店)と下川町(研究施設)に位置し、11人の職員が北の大地で薬草研究や商品開発に取り組んでいる。
世界で最も広く利用されている薬用植物
カンゾウは、漢方薬や食品用※1、化粧品用※2など、世界で最も広く利用される薬用植物の1つだ。年々需要が増え続けている一方で、産出国における野生品※3の乱獲が進み、2000年代から国内生産による安定供給を求める声が高まっていた。一方、王子HDではデジタル化による印刷用紙需要の縮小を見据え、自社の経営資源を活かした新規事業の開拓を進めていた。その新規事業の1つとしてスタートしたのが、植林事業のノウハウを応用したカンゾウの栽培研究だ。
※1食品用:天然甘味料として日本では味噌や醤油にも使用されている
※2化粧品用:カンゾウに含まれる自然由来の美容成分が、シミや肌荒れのケアに使用されている
※3野生品:自生している植物を採取したもの。カンゾウは中国や中央アジアの乾燥地帯に自生している
0からスタートした「国産カンゾウ」栽培
現在も国内供給のほとんどを海外の野生品に依存しているカンゾウは、栽培の前例が少ないことや、気候風土の違い、収穫まで複数年かかることなど、さまざまな理由から国内での栽培が難しい薬用植物とされてきた。王子HDが研究を始めた当時は、10社ほどの企業がカンゾウ栽培に名乗りを上げていたが、ヘクタール規模にまで拡大しているのは王子薬用植物研究所1社だけだという。
王子薬用植物研究所では、独自の研究によって大規模な実証栽培や、栽培期間を3年に短縮することに成功し、2022年には国産カンゾウ根とカンゾウ加工品の販売を開始した。この難しいチャレンジを成功させた中心人物が研究者の佐藤 茂さんと波多江幸裕さんだ。
佐藤さん 王子薬用植物研究所の前身となる医療植物研究室が設立されたのは2013年の秋ですが、本格的な栽培研究が始まったのは2014年の春からです。そこから3年かけて基本的な栽培体系を作り、2017年から大規模な試験栽培に移行しました。この試験栽培を成功させるまでには、いくつものハードルを越える必要がありましたが、その時役に立ったのが、植林事業で培った「事業の全体像を見る大きな視点」と「育種や育林で培った植物に関するさまざまな知見と技術」です。
他社が生薬として使えるレベルの優良種の開発を進める中、我々は優良種の開発と並行して、農業として大量のカンゾウを栽培・収穫・加工できる体系を作る研究を進め、2つの研究を両輪で進めていました。じつは、この考え方自体が植林事業をベースにしたものなんです。植林事業では育種による優良系統の開発研究をしながら、一度に多くの苗を育てる方法や、植林から伐採、搬出までの体系を構築します。林業的なアプローチでこのような『事業の全体像を見る大きな視点』を持っていたことが、我々が成功した理由の1つだと思っています。
蓄積された育種・育林の技術
王子HDでは、1950年代から育種や育林の研究を続けてきた歴史があり、種を選別する技術や種の休眠を打破する技術、育種・育林に最適な実験方法や研究を組むスキルがあった。しかし、カンゾウの栽培はノウハウが全く無いため、お2人の研究は、育苗や苗を植える間隔、肥料の配合までまさに0からスタート。試行錯誤の日々が続いたという。
佐藤さん 天然のカンゾウは、一般で流通している野菜などの種と比べ苗の歩留まりが悪く、最初は3割程度でした。これでは事業になりませんので、2014年から加わった波多江くんが研究を重ね、苗の歩留まりを9割以上にまで高めることができました。この障壁を突破できたことで、研究は大きく飛躍し、大規模な実証栽培へと移行することができました。
波多江さん 私は入社してすぐカンゾウ栽培のプロジェクトに加わりましたが、最初は東京の研究室で主に成分分析を担当していました。翌年、北海道に赴任してからは、栽培と育種の研究をメインに鍛えられ、毎日佐藤さんと一緒にフィールドに出て、右も左もわからないまま作業をしていました。
佐藤さん 私も波多江くんも、元々は遺伝子等の分子生物学分野の研究者ですので、研究室の中で試験管を振っていた人間なんです。フィールドで作業する経験はあまりなかったのですが、限られた時期にヘクタール規模の畑で植栽や収穫を行うには、農業資材や農業機械も自分たちで一から改良する必要がありました。特に農業機械は、今後さらに需要が拡大した時を見据え、北海道の農家さんが普段使っている機械をベースに、部品をほんの少し交換するだけで使えるように改良しました。収穫作業は困難を極め、最初は10メートル掘るたびにカンゾウの細い根が絡みついて、それを畑に寝そべってドロドロになりながら引き剥がして、また絡まるということを繰り返し、とても大変でした。それでも植林の知識から、この事業を成功させる道筋は見えていたので、どうにかやり切れたと思います。
1から10への新たなチャレンジ
王子薬用植物研究所は、カンゾウ栽培の基礎研究から大規模栽培、製品化に至るまで、一気通貫の体制を整えた「安全・安心な国産カンゾウ」をつくり、2022年に販売を開始。0から1をつくる基礎研究の段階から、1を10にするための商品開発へと軸足を移した。
佐藤さん 私たちが開発した国産カンゾウは、単なる野生品の代替品ではありません。サステナブルな栽培で、かつ北海道産であること、野生品に比べ苦味が少なく、香りも優しいことなど、全く新しい価値を持ったカンゾウが誕生したという認識です。今、マーケティングチームが中心となり、カンゾウ抽出液やカンゾウパウダーを配合した商品の開発を進めていますが、採用事例が次々と出てくる度に、私たち研究チームや畑で栽培しているスタッフは「こんなものにもカンゾウを使うのか」と驚かされます。今やっと自分たちがつくったカンゾウの価値に気づいたところなんです。ここからは、この新たな価値を多くの人と共有できるように、マーケティングチームを技術面でサポートしていきたいと思っています。
王子HDの植林事業で得た技術や知識、そして広大な森や遠い先の未来まで見通せる高い視座が、カンゾウの新たな可能性を拓く、クリエイティビティの源になっているのだろう。
(2024年7月24日 現地取材)
王子薬用植物研究所株式会社
本店 北海道名寄市字徳田20番地6
研究所 北海道上川郡下川町一の橋607番地
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