メイン コンテンツにスキップ
新林

吉野川上流で山林王・土倉庄三郎と木材流送の痕跡を辿ってみる

森林文化遺産を訪ねて #2

日本最古の人工林として室町時代から500年の歴史がある吉野林業は、古くは築城の普請用材として、江戸時代には樽や桶として、大正・昭和からは住宅資材として、時代の変遷とともに需要先を変えながら歴史を紡いできました。また、吉野林業の特徴の一つである山の所有者と管理者が別れて存在する「借地林業・山守制度」は、江戸時代中期から後期にかけて導入された山林経営の手法です。

その江戸時代末期から明治期の吉野林業に大きな功績を残したのが、現在の奈良県川上村大滝で生まれた実業家・土倉庄三郎(どぐら しょうざぶろう)です。
変わりゆくもの、変わらないもの 吉野林業の500年」の取材の前日、吉野川を上りながら吉野林業の中興期を支えた山林王の痕跡を辿りました。


山林王・土倉庄三郎とは?

土倉庄三郎(どぐら しょうざぶろう)は、1840(天保11)年に吉野川の上流域の奈良県川上村大滝に生まれた実業家。植林から育成、伐採、運搬にいたるまでの独自の造林技術を全国へ広め、また吉野林業の特徴である山の所有者と管理者を分け山を維持する「山守制度」を築いた人物として知られています。


※山守制度については、岡橋さんへのインタビューで詳しく紹介しています。

それではさっそく吉野川上流へ!

ちなみに吉野川というのは通称で、河川名としては「紀の川」が正式名称ですが、奈良県内では「吉野川」と呼ばれることが多く、標識などの案内板には二つの名称が併記されているようです。

木材流送をより効率よく!岩を削って流路を広げた吉野川宮滝の開削跡

吉野川は、川上から木材を流送するための貴重な搬出経路として古くから利用されていましたが、宮滝は曲がりくねって川幅が狭く、木材流送にとっては難所でした。そこで庄三郎は、木材を大きな筏にして効率よく流送できるように、宮滝の岩を削る事業を進めました。当然ながら削る作業は全て手作業!今でもノミやゲンノウの跡が残っているそうです。

開削跡は2016年に文化庁の制定する「日本遺産」に認定。

まずは、「柴橋」から宮滝を見渡してみます。緑の山と空を映した川と白い岩のコントラストが美しい!

この場所は、飛鳥時代から奈良時代にかけて吉野離宮があった所とされ、当時の歴代天皇もたびたび訪れていたのだとか。写真右の赤い屋根は「吉野宮滝野外学校」

さらに川の近くへ行ってみます。

「巨岩奇岩」と評されるゴツゴツとした迫力のある岩々が特徴的ですが、これを手作業で削っていったのか……と気が遠くなります。

そそり立つ岩場を抜けると、小石のある岸辺エリアに。川床が見えるくらい浅い川で、筏を流すことができたの?と疑問に思いましたが、昔はもっと水量が多かったのでしょうか。

庄三郎は水路だけでなく陸路も開発にも着手して通行や輸送を便利にし、人々の生活を向上させ山林価値を高めていきました。吉野川沿いを走る国道169号線も、庄三郎が開設に寄与した「東熊野街道」がもとになっています。これらの開発にかかった費用の多くは庄三郎が出したのだそうです。

宮滝を後にして、さらに上流へ。庄三郎生誕の地・川上村へ向かいます。

国道169号線のトンネルを抜けて再び吉野川と出会う場所に、何やら文字が書かれた大きな崖が……

スケール感覚が狂う磨崖碑(まがいひ)

この磨崖碑は、庄三郎に林業を教わり、明治神宮・鎮守の森の設計に携わった本多静六によって1921年(大正10年)に計画されました。

吉野川を挟んで対岸の崖には「土倉翁造林頌徳(しょうとく)記念」と彫られています。

対岸からもしっかりと読める碑文は相当大きいはずなのですが、ちょうど目線の高さに彫られているのもあるからか、実際見てみると、あまり大きく感じないのが不思議です。信号機が大きく感じないのと同じ感覚でしょうか。

「土倉翁造林頌徳記念」 頌徳(しょうとく)とは、徳をたたえることを意味するそう。

誰しもスケール感覚が狂うのを知ってか、磨崖碑の解説には、文字の原寸も紹介されています。大きい!


一文字の大きさは1.8m角 磨崖碑の全長は23.6m(堀った文字の深さは36cm)もある。

 土倉庄三郎翁の胸像。土台はもちろん吉野杉(おそらく模したもの)

土倉庄三郎の実績が書かれた年表。自らの財産を投資して世のため人のために尽くしました。朝ドラの主人公になってもいいのでは…?

年表によると、庄三郎は16歳で土倉家を継ぐと、林業の発展と人々の暮らしの向上に尽力していきました。そのはたらきは川上村、吉野地域から日本各地へ。また林業分野にとどまらず、政治、経済、教育の分野にも及び、奈良公園の造林計画や日本女子大学の設立などにも尽力しました。

庄三郎58歳の1898年(明治31年)に刊行された『吉野林業全書』は、吉野林業の方法をまとめた本で、植林、育成、伐採、運搬まで詳しく記され、日本の林業の規範の一つとなったそうです。

木こり活動」の活動地である天竜(静岡県浜松市)も庄三郎の造林方法が伝えられ、天竜林業の基礎となっています。樹齢120年超えの天竜杉があれば、それは庄三郎から直接教えを受けて植えられた杉かもしれません。

そして、磨崖碑から150mほど歩くところに屋敷跡があります。

土倉翁屋敷跡で土倉像とご対面

日本の各地で活躍した庄三郎でしたが、川上村大滝で生涯を過ごし、当時の政界や経済界の重鎮も多くこの場所を訪れ、「土倉詣で」をしたそうです。

新林編集部も「土倉詣で」をして、さらに上流へ。現在の上流には、「大滝ダム」というダムがあります。

大滝ダム

大滝ダムに着いた時、さーっと小雨が降って人造湖の「おおたき龍神湖」にかかった綺麗な虹を見ることができました。

ダムに貯められた水を見ながら、庄三郎の時代には、この水が下流に流れ筏にした木材を運んでいたのだなぁと、しばし思いを馳せました。

年表によると、庄三郎が吉野川の整備をしたのは2-30代の頃で、数多くの実績のうちのほぼ最初の実績と言って良さそうです。これからも日本の林業の歴史を辿るたびに、多岐にわたる庄三郎の功績に出くわすことになるのでしょう。また森林文化遺産を訪ねていきたいと思います。


【巡ったところ】

吉野川の開削跡(宮滝)
〒639-3443 奈良県吉野郡吉野町宮滝

鎧崖磨崖碑

土倉庄三郎銅像/屋敷跡

大滝ダム

【おすすめ参考資料
吉野林業と土倉庄三郎をもっと知りたい方は、吉野かわかみ社中さんが制作している「超現代語訳 川上村の吉野林業を学ぶ「川上村史 通史編」に学ぶ(12)川上村と土倉家」がおすすめです。

この記事のほかにも、庄三郎が刊行した「吉野林業全書」を超現代語訳版として解説していたりと、とても詳しくて分かりやすい記事が豊富にあります。

関連記事

日本の林業の歴史の関連画像

日本の林業の歴史

日本は国土の7割が森林という森林国です。生活や文化、都市の発展に森林は欠かせない存在でした。 古代から近世 飛鳥時代から …

FORESCOPE

日本の林業の歴史の続きを読む
木材輸送の歴史の関連画像

木材輸送の歴史

日本の森では、伐り出した木をどのように運び出していたのでしょうか。先人たちの知恵と技術の発展を紐解いてみましょう。

FORESCOPE

木材輸送の歴史の続きを読む
天竜の森で植林について考えてみるの関連画像

天竜の森で植林について考えてみる

[木こり活動レポート #4] 300年以上続く天竜の森へ 2021年11月12日、木こり隊は静岡県浜松市天竜区で300年以上続く鈴木家の森にやってきま …

木こり活動レポート

天竜の森で植林について考えてみるの続きを読む
ページの先頭へ戻る Copyright © Nikken Sekkei Construction Management, Inc.
All Rights Reserved.