出羽三山信仰と月山の山菜料理(前編) / 志田靖彦さん
山に生きる。— 西川町の知恵と術 —③

山形県の中央にそびえる東北随一の霊峰・出羽三山は、月山を主峰に、北に羽黒山、西に湯殿山が連なり、古くから山伏が修行する修験道の聖地として信仰を集めています。月山の麓に広がる西川町は、月山の雪解け水で育った種類豊富な山菜が採れる、東北屈指の「山菜の宝庫」。出羽三山を訪れる参拝者に振る舞われてきた山菜料理は、西川町の郷土料理として受け継がれ、独自の山菜文化を育んできました。
月山スキー場から車でおよそ10分。西川町の月山志津温泉郷は、古くは出羽三山への参拝道『六十里越街道』沿いにある宿場として栄えた地域です。今回は、月山志津温泉郷の老舗旅館〈変若水(おちみず)の湯 つたや(以下、つたや)〉の志田靖彦さんに、志津地区と出羽三山信仰との関わりや、山菜料理の成り立ちについてお話を伺いました。
山伏や参拝者を世話する宿場町

「出羽三山には『八方七口(はっぽうななくち)』と呼ばれる7つの登拝口がありますが、志津は本道寺口(ほんどうじぐち)と湯殿山神社 本宮までのちょうど中間に位置します。古くは夏の間だけ山伏や参拝者を世話する番所(小屋)があるだけでしたが、1611年に口留番所(くちどめばんしょ)※1ができたことをきっかけに人が定住するようになりました。
出羽三山は、山伏たちの修行の場である一方で、江戸時代の庶民に『西の伊勢参り』に並ぶ『東の奥参り』として人気を博した参詣地でもありました。出羽三山参りが最も盛んだった元禄の頃には、全国各地で『出羽三山講』と呼ばれる参拝のための組織が結成され、お金を出し合って出羽三山を目指したといいます。今では想像もできませんが、丑歳御縁年(うしどしごえんねん)※2に当たる年には、出羽三山の参拝者が15万人にもなったそうです」
江戸時代まで、神仏習合の権現を祀る修験道の山として信仰を集めてきた湯殿山は、明治の神仏分離令により、神社へと改編しました。その影響により湯殿山の参拝者が減少したものの、〈つたや〉では山菜料理や蒸け風呂、そして靖彦さんが先達(せんだつ)※3を務める湯殿山の「朝参り」を通じて、出羽三山とゆかりの深い志津地区の歴史や文化を今に伝えています。

〈つたや〉を営む志田靖彦さんは、山菜採り名人であり、過去には山岳遭難救助隊の隊長を務めていたという山の達人です。さらに興味深いのは、靖彦さんご自身が山伏であるということです。

「山伏修行を始めたのは59歳の時です。出羽三山参りは『生まれ変わりの旅』とも言われていますが、私も還暦(=生まれ変わり)を機に修行を始めました。山伏修行は個人的な思いで始めたものですが、志津は出羽三山信仰に深く関わってきた歴史があります。地域の郷土料理も伝統行事も、そこに根っこがあるわけですから、私が山伏修行を始めたことは必然的なものだったと思っています」
※1 口留番所:江戸時代に各藩が領地の境界や交通の要所に設置した、関所に類する小規模な警備・取り締まり施設
※2 丑歳御縁年:12年に一度、神様との縁が最も深まるとされる特別な年
※3 先達:参拝者を案内し、参拝作法や歴史を教え導く人
身体が目覚める春の山菜料理

西川町の山菜料理の特徴は、一年を通して、種類豊富な山菜料理をいただけることです。〈つたや〉を訪れた4月下旬はまだ山菜が出始めたばかりにもかかわらず、テーブルいっぱいに料理が並びます。春の山菜の苦味には、冬の間に体に蓄積された老廃物や余分な水分を排出する強力なデトックス効果があり、身体の内側から目覚めるような春の息吹を感じます。

ふと、食事前に志田さんと旅館の外で見たミズバショウのことを思い出しました。
「早春、雪の隙間から真っ先に姿を現すのがミズバショウです。ミズバショウは毒があるので人間は食べませんが、クマは冬眠から目覚めるとまずミズバショウを食べます。クマは冬眠をする時に硬い糞で肛門に栓をしているので、ミズバショウを食べて腹をわざと下し、通じよくしてから活動を始めるのです。ミズバショウはクマの目覚めるタイミングに合わせたように一番に芽を出します。自然の営みというのは本当に良くできていて、無駄がないですね」
人間もクマも同じ。春に山菜を食べたくなるのは自然の摂理なのです。
出羽三山信仰から始まった山菜料理

かつて、月山の麓で暮らしていた志津の人々にとって、山菜は貴重な栄養源であり、山伏や参拝者にふるまう収入源でもありました。そもそもなぜ参拝者に山菜料理を振る舞うことになったのでしょうか。
「江戸時代、出羽三山の参拝者は、田植えが終わってから秋の収穫が始まるまでの限られた期間にこの地を訪れました。しかしその時期の志津はまだ気温が低く、参拝者の食事に使う畑の食材が間に合わなかったのです。そこで、畑の食材に代わる食材として、山菜が使用されるようになりました」

「湯殿山は明治の神仏分離令まで女性の入山が禁じられていましたので、本道寺より奥は俗世の穢れを持ち込むことを禁じる参内(さんない)の場とされていました。宿では精進潔斎(しょうじんけっさい)のために精進料理を出していましたので、山菜は都合が良かったのです。
志津では、出羽三山信仰をきっかけに山菜文化が発展してきましたが、それを支えたのは月山の気候風土です。ここは今でも多い年は積雪が6mに及ぶこともある豪雪地。雪は麓から溶けはじめ、溶けた所から山菜が芽吹きます。雪解けに合わせて麓から奥地へと芽が出る時期が少しずつずれるので、山の上では7月まで山菜を収穫することができるのです。また、長い冬に備えて山菜を保存食として加工することで、一年を通じて山菜料理を食べる独自の食文化が育まれてきたのだと思います」
山菜の宝庫

西川町は国有林が多く、私有林が少ないため、比較的自由に山菜を採ることができるといいます。国立公園や国定公園、自然保護区などの採集禁止区域や、伝統的な入会権(いりあいけん)が設定されている共有地などを確認しマナーを守れば、誰もが山の恵みを享受できます。そうしたことも、山菜文化が続いてきた一因かもしれません。
「自由に採れるのは、山が豊かだからこそ。以前、釣りを諦めて山菜採りをしながら山を登ってきた、という人に会ったことがあります。釣りより山菜の収穫が多かったのでしょうね。ただ、私がウドを採りに行くような場所は、山が険しくクマの生息地でもあるので、地元の人が来ることはあっても余所の人が登ってくることはまずありません。ある意味クマに守られてるみたいなところがあります。今はまだ、私の子どもたちも険しい山まで登って採ることはしませんが、いずれ私の山の知識をちゃんと伝えて、それをまた彼らに活かしてほしいと思っています」
後編につづく(2026年4月28日 現地取材)
志田靖彦さん
1952年生まれ。山形県西川町志津出身。月山志津温泉の旅館「変若水(おちみず)の湯 つたや」の取締役会長。一般社団法人 月山朝日観光協会会長。59歳で山伏修行を始め、旅館の運営を通じて、出羽三山信仰と深く結びついた志津の歴史や文化を守り伝える。
変若水(おちみず)の湯 つたや https://gassan-tsutaya.com/
住所:〒990-0734 山形県西村山郡西川町志津10
Instagram:https://www.instagram.com/gassan_tsutaya/
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