シリーズ森の舞台の役者たち ~植物の暮らし拝見~
木を見て森を見ず? いやいや、うっかり見過ごしてしまうような森の小さな草木たちも森林という舞台で懸命に生きているのです。森を足元から見てみると、そこには魅力あふれる役者たちが暮らしていました。
光を求めて右往左往
森の舞台の役者たち ~植物の暮らし拝見~ #1
調査道具を持って石造りの鳥居の前に立つ。鳥居をくぐって長い階段を学生と一緒に登り切ると、鬱蒼(うっそう)とした森が目に入る。境内の明るい日射しの下から一歩森の中に踏み込むと、目が林内に慣れずにとても暗く感じる。ガサガサと落ち葉を踏みながら歩くと、季節は5月でそれほど暑くはないのだが、蚊がまとわりついてきて少々不快だ。時々手で払いのけようとするが成功しない。落ちている大きな枯れ枝に、引っかかって転ばないように慎重に歩を進める。
目指すはなだらかになっている山頂付近だ。数分も歩いてたどり着くと、背負っていた荷物を下ろして一息つく。見回してみるとあたりはとても静かで鳥の鳴き声も聞こえない。
まずは調査枠を張る場所を探そう。今日一日かかる植生調査実習の始まりだ。
岐阜県美濃市にある岐阜県立森林文化アカデミーという専門学校で教員を始めてから20年が過ぎた。縁あってこれから何回かに渡って森林についてのお話を連載させていただくことになった。自分の専門である植物を中心に、森林について幅広くお話しするので、これからどうぞよろしくおつき合い願いたい。
森林文化アカデミーでは、開学以来毎年20年以上にわたって植生調査の実習を続けている。冒頭の描写はこの実習の様子である。実習の目的は、森林を調査してその特性を定量的に記録する技術を身につけることだ。
このような調査は、林業はもちろん自然系の調査会社で仕事をする際に役に立つ基礎的な技術の一つである。ところが、体験する学生の側からすると、単純で退屈な作業に感じがちだ。樹木の見分けがつかない初心者の間は特にそうではないかと思う。
しかし、単純に数値を測るだけで無く、1本1本の樹木の一生を覗き見ていると考えたらどうだろう。どんな大木も始まりは一粒の種だった、とよく言われるが、種から芽生えが出て定着し、成長して繁殖し、その後長い時間を経てのちに枯れていく過程は、人の一生にも似ている。
また、森林での植物の生き様はしばしば舞台の上の役者にも例えられる。個性を持った植物たちが、その特性に合わせてお互いにからみ合って生きている様はまさにドラマチックだ。
さて、冒頭の実習の様子を先に進めてみよう。
林は濃尾(のうび)平野の北端近く、長良川(ながらがわ)のそばにある。調査に入った山は標高差100m弱で小さくこんもりとしている。麓から山を眺めると、山頂付近にモコモコとしたブロッコリーのような形をした立派なツブラジイの樹冠が見える。神社の鳥居をくぐったと書いたが、この山は神社の社叢林(しゃそうりん)なのだ。そのため実習の前には神社の総代から特別に許可をもらっている。
山頂付近で15m×15mの四角い調査枠を地面に張ったら毎木調査の始まりだ。枠内の木に抱きついて特別なメジャーで木の直径を測ったり、樹高を測定したりする。林床植生(りんしょうしょくせい|地表近くの植物たち)の調査も行う。地表に1m×1mの枠を一定数置いて、枠の中に入った芽生えなどを記録するのだ。また、林の断面を記載するため、林内に立って正確にスケッチをする必要もある。
植生断面図を描いているときに、幹が斜めに傾いたリョウブが1本あるのに気づいた。20mほどの高さがあるツブラジイの半分くらいの樹高しかないようだ。まず、どうしてこのツブラジイの暗い林に光を多く必要とする落葉広葉樹のリョウブがいられるのか、学生に尋ねてみる。講義で習ったことで簡単に答えが出る筈だが、頭をひねってみても正解が出て来ないようだ。
答えは簡単、上層のツブラジイの林冠が閉鎖していなかったからだ。上から差し込む光をもらってリョウブはこの高さまで成長することができたのだ。
では幹が斜めなのは? いくつか理由は考えられるが、この場合林冠の隙間(ギャップという)が関係しているかもしれない。つまりギャップがリョウブの真上にはなかったのだ。ツブラジイも林冠に隙間があいていればそれを埋めようと周りから枝を伸ばすので、リョウブに光を授けるギャップはどんどん小さくなってゆく(①)。そしてついにリョウブの主軸は成長できなくなるのだが(②)、ツブラジイの大きな枝が折れたのだろう、幸運にも離れた場所で新たに小さなギャップが発生した(③)。そこでリョウブは光を求め、幹をその隙間目がけて斜めに伸ばしていく(④)。その結果リョウブの幹は捻れたように曲がってしまったのだ。
苦労して光にありついているリョウブだが、この種の最大樹高を考慮すると、ツブラジイの樹冠の高さまで到達するには無理がある。ギャップが閉じると同時にいつかはリョウブも枯れてしまうのだろう。
一方でリョウブの近くに生えていたサカキに目を向けてみる。こちらはリョウブのように主幹が斜めになっていない。横に何本も枝が出ているが、主軸は真っ直ぐだ。近くに明るいギャップが出来ても我関せず。スピードは遅いが、着実に真上を目指して伸びてゆく。迷いがないその姿は潔くもある。こちらも最大樹高はそれほど大きくないので、林冠に自らの樹冠をねじ込むことはないのだが、常緑広葉樹であり、暗いところでも光合成を行う能力が高いので、マイペースで真上に伸びることができるのだ。こういったリョウブとサカキの光の使い方の違いが、樹形の違いを生んでいるのだ。
幹が斜めになるということは、根が浅い樹種にとっては時に致命的だ。バランスを崩して根から倒れてしまうからである。これがいわゆる「根返り」だ。それが原因で枯れてしまうことも珍しくない。リョウブだってできれば真っ直ぐに伸びたいだろうに、光を求めるもって生れた性質が、それを許さないのである。
コツコツ生きるサカキはウサギとカメの童話に例えればカメの戦略をとっていると考えられる。お話では最後にカメがウサギに勝つことになっているし、童話の教訓としては堅実な生き方を勧めているのだと思う。しかし、僅かな光を求めて最後まで足掻き続けるリョウブのような生き方にも魅力を感じる。注意深く観察すると、リョウブが途中でできた枝折れによる小さな林冠ギャップを逃さないよう、何度も何度も新しく出す枝の向きを変えながら生きながらえてきた様子が見えてくる。ついつい応援したくなる。
植物は自分の足で歩くことも出来ないし、一見自律的に動いてはいないように見える。しかし、動けないからこそ、自らに課せられた制約の中で生き方を「選び取って」生きているように思えてならない。
ツブラジイとリョウブとサカキ、3種の植物が役者として登場するシイ林という舞台の一幕を紹介させてもらったが、それぞれの役者にはそれぞれの個性がある。そして世の中には数え切れないほど多くの植物がいて、それぞれの生を生きている。
そのため舞台で繰り広げられる物語は複雑、かつ面白い。それを特等席で観覧できるのが植生調査だとすれば、こんなに素敵なことはないのではないだろうか。次回からそんな植物の生き様や、植物にまつわるあれやこれやをご紹介できればと思う。
次回は林床の植物のお話を。
今回の役者たち
ツブラジイ(ブナ科)
木は大きくなるけれど、葉っぱは小さい。花の時期だけは大量の花で樹冠が白く見える。ドングリは小さいけれど食べられる。縄文人も貯蔵して食べていた森の恵み。
リョウブ(リョウブ科)
落葉樹のリョウブの葉は、芽吹きの時期には明るい黄緑色で森の中を一気に華やかにしてくれる。新芽は塩もみしてから刻んでご飯に混ぜ込みリョウブ飯に。
サカキ(サカキ科)
常緑樹のサカキ(榊)の葉は分厚くてかたい。赤い葉は芽吹いたばかりの新葉。残念ながら食べられる部分はないが、神棚に供える枝ものが、花屋で売られている。
著者:柳沢 直(やなぎさわ なお)
岐阜県立森林文化アカデミー教授。
京都府舞鶴市出身。京都大学理学部卒業。京都大学生態学研究センターにて、里山をフィールドに樹木の生態を研究。博士(理学)。専門は植物生態学。地質と植生の関係に興味がある。1990年代に里山の調査に参加する中で里山の自然に触れ、その価値を知る。2001年より現職。風土と人々の暮らしが育んできた岐阜県の自然が大好きだが、お隣の長野県ほどメジャーでないのがちょっと悔しい。
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森の舞台の役者たち ~植物の暮らし拝見~
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