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新林
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シリーズ「山って…何なん?」 と何度もつぶやくことから始まった、山主候補生の活動日記

祖父が残した言葉をきっかけに、山へ通いはじめた「私」。祖先が守ってきた山とは、何なのだろう。

#10 甘い幻想/辛すぎない理想② 「ためらい」と肩を並べて

上が気になる


とにかく山に通っている。天気予報を見まくっている。晴れていると、お尻がそわそわする。

一緒に草刈りしてくれた山の爺からは、「こりゃ、永遠に終わらんぞ(笑)」と言われた。
その様子を遠くから眺める地元の人には、たびたび山に来る私を見て「あんな固い草を刈ったら、そりゃ、若いうちの草を刈りたくなるやろうなあ。あれは大変やったもんな」とつぶやかれた。

私は山の放置田んぼの草刈りに、ことごとくうんざりしたのだ。木も草も実も、人間のペースにあわせてくれない。むしろ、私たちがあわせていかねばならない。大量の草刈りを一度にやるのではなく、ちょこちょこやる方向に舵を切り替えた。

それにしても……そこまでして山に行って、何かをやる必要はあるんだろうか。放置することだって可能なんだから。ずっと自問自答している。でも「川上あれば、川下あり」という言葉が常に頭をよぎるのだ。

子鹿が、こちらをじっとみつめる

よぎるのには、理由がある。

うちの土地の一部は、段々畑(棚田)になっている。車が入れないので、急な坂を刈払機を背負って降りていく。

右手には美しい棚田が青々と広がる。
左手には96歳の元猟師が「健康のため」だけにやっている畑と、手入れできなくなった耕作放棄地が階段状に連なる。
うちの土地はその下にあって、テニスコートが3~4つほど入る、約二反の平べったい土地。昔の人が耕作のために、傾斜面を平地にしたのだろう。地崩れしやすい傾斜地には、地盤を支えるための立派な石積みが施されている。

その石積みが崩れているのだ。原因は鹿。夜になると、餌を求めて畑に近づいてきては、飛び回っているらしい。「夜はここでダンスしとるぞ」なんて、地元の人は教えてくれる。助走なしで1.5mくらいはやすやすと飛び越えてしまうという奴ら。棚田は電柵をつけることで守られているけれど、うちの土地は「そこまでするのか?」。

鹿のせいで平地にゴロゴロと落ちてくる石は、草刈りの邪魔になる。「石を見つけたら、集めておけ!」と山のお爺たちに言われるけど、この作業は無限ループとしか思えない。

そんなわけで「うちの土地だけきれいにしても、意味ないよなあ~」と、上を見あげては思うのだ。


「ほんとう」は、よくみえない

石積みが続く、棚田を見上げる

さらに熱心に山へ向かう私をみて、都会の友人たちはいろいろ声をかけてくれる。

「筍の時期に行きたいなあ」
「鮎はとれる?」
「刈払機は使えないけど、手鎌でなら草刈り手伝うよ」
「子どもと一緒に山でできることはない?」

「誰かと一緒にできるといいなあ」と思った私は、人に来てもらえる環境を整備しなきゃと考えた。トイレ、駐車場、日陰などなど、安心して集える場づくりをどうすれば良いか。数名で、楽しくメンテナンスできるといいなあ!

もともと事務屋の私は「耕作放棄地にみんなで集まろう」という、それっぽいチラシをサクッと作ることにした。Nさんから、レモンやゆず、ブルーベリーを植えてみたら、というアドバイスをもらったので、「苗木オーナー募集」というキャッチコピーを添えた。手描きっぽいイラストが欲しいなあと思い、友人のHちゃんにお手製「消しゴムハンコ」の制作依頼をした。

Nさん宅のブルーベリー畑(下)と、Hちゃん作のかわゆい消しゴムハンコ(上)。いつか活用したい!

ひとまずできあがったチラシを携えて、地元の人たちに相談に行った。
「このあたりの人は、みんないい人だから、いいんじゃない?」
「あの人に言えば公民館のトイレが使えるんじゃない?」
「悪い人はおらんぞ」

それぞれ一人一人は、丁寧に話を聞いてくれる。だけど、なんだか具体的に進まない。「あの人に話したら~」というやり取りが何度か続いたとき、私のやり方が何か間違っているんじゃないかと思うようになった。

そんな折、実は都会から来た私が「ソーラーパネルをたてたい」と言い出すんじゃないかと冷や冷やしていた、と話してくれる人がいた。「そんなこと、私が考える筈ないじゃん!」と言ったものの、そりゃそうだ。私はただ山を相続しただけの者であって、いくらルーツがあるからといっても、パーソナリティなんてわからなくて当たり前だよなあ。そのことに初めて気付かされたのだ。

口を開く人々、口ごもる人々

ソーラーパネルの風景、みなさんはどんな風に見ていらっしゃいますか?

交付金を取りまとめている元・公務員という人からは、「集落で話し合え」と分厚い資料を渡された。中山間地域等直接支払制度と書かれた農林水産省の分厚いパンフレットには、山間地が持つ「多面的機能」を維持することによって、下流域の人々の暮らしが守られていると書かれていた。

多面的機能、なんじゃそりゃ?
うちの農地も、この「多面的機能」交付金対象の土地があるから「木」を植えてはいけない場所があると言う。要は、地目によって規制されているらしい。だからレモンもゆずもNG。農作物はいくらでも大丈夫。「菜花とか里芋の畑をやってみるか?」と茶化されながら、とにかく草刈りをして欲しいと言われた。

さらには、地元の仕切り役の家に行くと「お祭りに来い。みんなが集まる場所で挨拶をしろ」と言われた。
70代以上しかいない限界集落。次の世代に託すことが難しい、それを薄々感じている高齢者たちの集まり。まともに話すのは、お互い勇気がいるだろう。そして私のような、いろんな意味での田舎素人に何ができるんだろう。
地域の人の視線にさらされながら、それぞれの本音と建て前が交差する。そこに私は巻き込まれるのだ。一対一ではなく、公共空間にさらされながら共通理解を得ていくという、大変なステップが待っている。このぎこちない状況を受け入れる、そんな覚悟を持てるかなあ……

一人でも、安全に、面白く

こんな感じで、子どもたちと作業できると楽しいだろうな、とは思うのです。

そんな田舎の漫然とした光景が、一瞬、頭をよぎった。
しかし、この状況は必然としての偶然だ。自分で何かを切り開くことなんてできっこないから、流れに身をまかせよう。「覚悟」という、カクカクで重そうな言葉はこちらから遠慮して、身軽に受け入れていこう。

いつか誰も住まなくなってしまうであろうという「憂い」を持ちながら生きている地元の人たちにとって、私は当事者ではないけれども、同じ場所で困っている一員として、たまには話をしてお互いを癒したり、距離をとって黙々と作業したり、時には共通の楽しみをみつけたりしながら、何かできていくことがあるかもしれない。

そんなわけで、お祭りに行った。「しかうち神事※1」という珍しい儀礼を見ることができた。木の葉や枝で形どったシカを弓矢で射るのだ。射るのは、神職の装束を着た近所のお爺。いつもと違う身なりを見て、私は思わず「ククク」とクレヨンしんちゃんのように後ろを向いてにやけてしまった。

お神酒が配られた後、私の紹介が始まった。集っている人が全員、下を向いている。「●●さんのお孫さんで、おじいさんもお父さんも亡くなられ、一人でたびたびくるようなので、よろしく」という話をしてもらった。それが済むと、みな眼差しをあげ、お酒片手におしゃべりの輪が広がった。私はその様子を、女性たちが佇む集会所の土間からじっと見ていた。

都会の人の助けは、申し訳ないけどいったん脇に置いて、一人でじたばたしてみるか。

一人でコンスタントに作業をするために、チェーンソーと刈払機の労働安全衛生法に基づく特別教育講習会に申し込んだ。ほとんどの参加者が、林業や造園会社の職業訓練として来ている人々ばかり。私は自腹だ。圧倒的に男性ばかりの中で、一人だけおばさんの私。「この人、大丈夫?」という視線を感じなくもなかったが、まあ、いいや。

心は水平でいよう

お祭りの帰り、私は車をとばしてバジル畑を見に行った。ただ草刈りするだけではなく、何か育てられないかなあ、と考えていたのだ。条件としては(1)鹿が嫌がる匂いが強いもの(2)毎日世話をしなくても育つものだ。地元のお爺ちゃんたちが育てるという選択をしたことのない、ハーブはどうかな?と思ったのだ。農家の人にとっては、雑草だと言われるけど。

友人にアポイントをお願いして、露地栽培でホーリーバジルを育てているBASIL CLUBの三浦敦史さんの畑に行った。以前、三浦さん作のお茶を飲んで、感激したからだ。甘くてほっとした。

三浦さんも朝から地元のお祭りに参加した後、畑に駆けつけてくれた。

平地の畑はいいなあ。ビニールハウスも整備されていて、人間が休める小屋もおしゃれだ。三浦さんは「種から芽が出るということは、量子力学的に考えれば、そこにエネルギーが生まれているはず。すじまき(種を直線状に筋のようにまく方法)することで、その力が互いに連鎖していきます。芽が出たら優しく2~3本とって、露地に植える。そうすると、それぞれが支えあって大きく育つし、収穫量も増えるんです。バジルじたいもストレスを感じづらいので、のびのびと育ちますよ」と、目から鱗のお話を聞かせてもらった。なるほど。

いまだに私は上が気になるけど、心はあくまで水平でいよう。種と同じように、互いの土壌で連鎖し合えるためにも、ストレスフリーでいることが大切なんだ。

都会のベランダで種から育てたホーリーバジル。ひとまず、無事収穫!

山で一人で草刈りしていると、いろんな声が聞こえてくる。鳥の声はもちろん、夏は夕方になると「フィーヨ」「ピー」という鹿の声が聞こえる。秋から冬にかけては、突然山から犬の吠える声がしたかと思うと、銃の音が重なるように響きわたる。あぁ、鹿を撃ったんだとドキドキする。
そして、森林経営計画がはじまり、山での施業が行われていることもわかる。チェーンソーの音はもちろん、伐った木を運ぶ大きなダンプが、ガタガタと小さな山道を走っていく。

そんな折に「おーい」と、地元の人が上から下から、たまに現れる。
銃の音も怖いけど、突如あらわる人間にも未だギョッとする(笑)。


山川 愛(やまかわ あい)
愛知県在住。公益財団法人かすがい市⺠文化財団プロデューサー。金沢美術工芸大学工業デザイン科を卒業後、アートマネジメントの領域で活動。同財団に入職後は、展覧会や演劇公演の企画・広報、昨今は自分史を始めとした市民との協業事業を担当。2021年から亡き祖父の山に入り、山主として自分に何ができるかを模索している。


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