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新林
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シリーズ「山って…何なん?」 と何度もつぶやくことから始まった、山主候補生の活動日記

祖父が残した言葉をきっかけに、山へ通いはじめた「私」。祖先が守ってきた山とは、何なのだろう。

草刈の技法、伐採のフーガ

秋の恵み。割れているのが、あけび。紫色の実がムベ、甘い。赤い実がサネカズラ、古くから整髪料に使われていたらしく、ビナン(美男)カズラとも呼ばれたそう

たどたどしく進む

年末のうすら寒い日々の中、蒸し返すわけではないけれども、敢えて記しておこうと思う。今年の秋は“暑すぎる夏”だった。9月半ば、いつも山でお世話になっている方の田んぼで、稲刈りを手伝った。手伝いとは大げさで、ほとんど見習いだ。カンカン照りの中、コンバインでは刈れない四隅の稲を手鎌で刈り、取りこぼれた稲穂を拾い上げる。稗(ひえ)が交ざってしまった田んぼで、「何を刈ってるんだか」と嘆きながら働くご夫婦の背中を見ながら、私も一緒に稗を取り除く。稗は紫色の小さな花を咲かせるのだが、それを見て私が「かわいい」というと、二人は苦笑した。
都会のベランダでミントを育てる青年は、その葉っぱでお茶を飲みたいのだが、葉をむしり取るのが可哀そうで出来ない、と言う。一方、山や田んぼの働き手にとって、ミントは雑草に過ぎない。関わり方次第で、一つのものがいろんな見え方をする。そのグレーな感じを大切にしたい。

稲刈りの様子。この日はとっても暑かった。

昨年は、「稲刈りを手伝いたい」という私の申し出を断られた。理由は至ってシンプルで、他人が入ると、食事、お手洗い、手伝いへのお礼など気遣うのが厄介なのだ。かといって、家族仕事も厄介だと聞く。例えば、12月には田んぼを一度は起こしておきたい。しかし寒いし、他にもやることがあるし、その気になれなかったりもする。そんな折に家族から「田んぼを起こさないの?」と言われると、癪に障ることがある。人間特有のモヤモヤだ。これは農家に限らず、どこにでもあることだと思う。

私の「山で木を伐ってみたい」「田んぼを手伝ってみたい」という正義と、相手の事情には隔たりがある。しかし一人ではできない。そんな背景がありながら、今年の稲刈りに足手まといの私を受け入れてくれたご夫婦に感謝している。迷惑だとはわかっていたけど、なるべく普通に振る舞えるようにという思いが通じたのだろうか。稲刈りの合間にご馳走になった昼食が、なんのてらいもない冷やし中華だったその景色に、幸せを感じた。

「山の爺たち」との出会い

軽トラを買ったばかりの、ルンルンの頃の私。チェンソーを使用する際に、怪我防止のために着用するオレンジの防護服=チャップスを着用して

山に入る、木を伐る、田んぼを育む、どれも体力のいる仕事で、大切な産業である。それはわかっているけど、「やってみたい」だけでは歩み寄れない感じがする。顔をあわせる、信頼を得る、そんな関係をどう作っていけばよいのか。

Kさんと山を歩き、現代美術家の鈴木さんと木を伐っている頃、実は私は車を持っていなかった。都会に住んでいる限り、電車と徒歩で十分だったのだ。そのため、山に行くには両親の車を借りたり、レンタカーを手配した。その些細なことが山へ行くための枷となっていることに気付いていった。休みの日に身軽に山へ通うためには、どうしたら良いだろう。山に繰り返し通わない限り、関係を作ることは難しい。
そこで私は伝手をたどり、祖父の古い軽トラを買い替え、カーキ色の新古車をゲットした。今ではこのお気に入りの軽トラが、私のトレードマークとなっている。相続した山周辺に出向くと、車のウィンドウ越しに集落の人たちと会釈を交わすようになっていった。「愛さんが軽トラで現れた」と噂されるようになり、仕舞いには「鹿に出会うより、珍しい人」と言われていたのだった(笑)。

山のお爺たちとの会合

そして製材所を営み、森林を守るためのNPO法人を運営するお爺たちと、鈴木さんの展覧会で出会った。鈴木さんが会場としていた山の廃校を、ずっと守ってきた人なのだ。「俺らのNPO法人に参加すれば、一年で木を伐れるようになるぞ」と魔法のような言葉をかけてくれた。行くしかない。
2023年4月、設立して約20年になるというNPO法人の会合に出向いた。85歳を筆頭とした熟練の山の爺たちばかりだ。現場にコミットするためには、仲間として認められることが必要だとわかっていたので、爺たちが「やれ」ということを何でもやった。道具を運び、見よう見まねで草を刈り、事務作業を引き受け、掃除をし、チェンソーで木を伐った。「やれ」と言われる前に、何が自分で引き受けられるか、お節介のラインギリギリを考えながら、身体を動かした。

この世界には、さまざまな音がある

幼い頃に使っていたバッハの楽譜。1985.8.24と記載がある。9歳の時に弾き始めたようだ

そんな一連の作業を通して、驚いたことがある。それは「音」だった。
私は幼い頃からピアノを習っていた。中学生までは漠然と音楽大学に行こうと考えていたが、上手い人がとんでもなくいることを実感し、趣味に切り替えた。大学時代は音がとれるのでバンド三昧だった。そして文化全般を下支えする仕事につき、音楽家たちと交流を持った。そして未だ、なぜ音楽が生まれ、人は歌うのか、興味がある。

そんな中、私は山の爺たちの活動を通して、新しい音に出合った。今まで騒音だと思っていた、草を刈るための刈払機やチェンソーの音だった。
「あの音は●●さんの刈払機の音だ」「あれは噴かしすぎだ」「今日は誰かが山で木を伐ってるな、聞こえるだろ」
最初は何のことを言っているのか、さっぱりわからなかった。そもそもピアノをやっていた私は、そういう工具類とは無縁の世界に住んでいたから、刃がまわる機械を持つだけで、正直恐ろしかった。音が聴けるほどの余裕など、全くない。その内に山の爺たちは「草を刈りながら、草を集めて~」など、よくわからないことを言ってきた。はて?様子を見ていると、なんだかスマートなリズムを刻みながら草を操り、伐りながら機械の上に草をのっけて集め、こんもりとした草のお山を作っていった。なんじゃ、こりゃ。

ピアノからチェンソーへ

20分ほど立て続けに刈払機を使った私は、無理矢理、休憩をとらされた。「休むことも大事だから」。そんな気を遣ってくれるお爺にお茶を渡そうと、ペットボトルから紙コップにお茶を注ぐ。すると…手が震えてこぼれそうになる。「アル中かぁー!」とドカ笑いするお爺たち。いつのまにか筋肉が疲労し、腕のピクピクが止まらない。私には体力が全く足りていない、くそぅ…くそぅー!

そんな時、唐突に、ピアノ練習の苦い思い出がフラッシュバックした。指使いの至らなさ、特に左の薬指と小指。この指で鍵盤をしっかり押さえられるようになれば、バッハのインヴェンションが奏でられるのに。ピアノ教室に行くと、いつもいつも同じところを指摘され、同じ楽章を繰り返し弾かされた。家では飽き飽きした音を出すと母が察して、ピアノ部屋に近づいてくる。それが恐ろしかった。毎日17時からの練習が、途方もなく永遠に思えた。しかし、いつしか指遣いを習得した私は、あの苦い時間を忘れていた。

この年齢になって、また新たなチャレンジが始まるとは。ピアノという楽器を、刈払機やチェンソーに持ち換えるのか。この機械ならではの心地良い音を奏でられるだろうか。経験と技をものにするためには、とにかく使ってみるしかないのだろう。

山の爺による、ソーチェーンの目立て

山の爺たちに面倒くさがられたり、いじられたりしながら、少しずつ現場に立たせてもらえるようになった。機械の使い方は少し覚えたが、メンテナンスはまだまだだ。チェンソーの目立てにはリズムがある。「シャッシャッ」という音が良ければよいほど、ソーチェーンの刃が立っているような気がする。そのためにはヤスリの角度が大切だし、身体の位置も重要だ。なんだかピアノ演奏と似ている。

美しい仕事

ある現場の様子。山の爺たちは伐った草を乾かすために、そこら辺にあるあり合わせの小枝で柵を作ってしまった。すごっ!

つい先日、祖父から引き継いだ田んぼを、2日間かけて草刈りした。山の爺たちの中でも、一番面倒を見てくれているNさんと2人で。うちの田んぼは、段々畑の中腹で、急斜面に1反以上の面積がある。人が通れる道しかついていないため、大きな機械が入らない。とにかく刈払機で刈るしかなかった。私の背よりも遥かに高いセイタカアワダチソウや、5年も放っておいたせいで地面に寝転んでしまった草を、ヒィヒィいいながら、なんとか刈り終えた。田んぼの周りにぽつりぽつりとある集落から、たまに様子を見に来てくれる人がいた。「住んでない人間が、よう草刈りにきたね」とかけてもらった言葉に心が解れた。道端に留め置きさせてもらった軽トラの荷台には、地域の方がそっと大根や白菜を積んでおいてくれた。Nさんと2人で喜んで分けた。

うちの田んぼからの眺め

マンツーマンで教えてくれたNさんの仕事は、とにかく美しい。ただ草を刈るだけでなく、草をしなやかに集め、ふんわりとした小山を作っていく。刈払機の音に無理がない。まだ私にメロディーは聞こえてこないけど、わざとらしさがないその様に、こちらの背筋が伸びる。草の刈り方一つで、その人の人生を見てとれるのは、とても豊かな経験だ。「刈払い機で草を集めると、少し空気が入るだろ、それが草を乾燥させるために良い工程なんじゃ」、とNさん。そんな知恵、どこに書かれているんだろうか。

Nさんは、山に入るときも、田んぼの草刈をするときにも、必ずカップ酒を持参してお清めをする。自然界の神様に頭をたれる。そんな姿から、私は人生を学んでいる。刈払い機やチェーンソーを使って、山の爺たちと一緒に素敵なハーモニーを奏でられる日は来るのだろうか。時間はそんなに残されてない。


山川 愛(やまかわ あい)
愛知県在住。公益財団法人かすがい市⺠文化財団プロデューサー。金沢美術工芸大学工業デザイン科を卒業後、アートマネジメントの領域で活動。同財団に入職後は、展覧会や演劇公演の企画・広報、昨今は自分史を始めとした市民との協業事業を担当。2021年から亡き祖父の山に入り、山主として自分に何ができるかを模索している。


あとがきコラム#8 山と本
『Knitting ’n Stitching Archives.』
宮田明日鹿  発行=ELVIS PRESS

編み物にも音楽が宿っているなんて、驚いた。2022年に89歳で亡くなられた豊田元江さんのベストの写真を見て、思わず手を止めた。糸くずや編みかけのものを使って、一つの作品に仕上げている。ありあわせだけど、規則性があり、なおかつ可愛い!着てみたい!そんなニットだ。豊田さんの作品を見て、ある方が言ったそうだ。「音楽みたいだね」。自由に糸を組み合わせていく即興演奏のようだと。

本書は、アーティスト・宮田明日鹿さんが名古屋市港区で主宰する「港まち手芸部」の、7人の作り手の作品とインタビューが掲載されている。人が作るものには、メロディを支えるために大切な通奏低音が響く。草刈りでも伐採でも、編み物でも同様なのだ。社会的価値を問われることの少ないものの中に、力を感じ、励まされる。ページをめくるたびに、奇跡を感じた。

※この本の展示が、名古屋の本屋 ON READINGで開催されます。
詳しくは https://elvispress.jp/ksa_asuka_miyata/
※本の写真の背景は、私の亡き祖母が編んだ、毛糸見本を編み合わせて作ったブランケットです。

シリーズ「山って…何なん?」 と何度もつぶやくことから始まった、山主候補生の活動日記

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