山の境界を歩く(2)
あの道は、いつできた道?
山歩きをはじめて凄いと思うようになったのは「道」の存在だ。当たり前すぎて、検索したことなど一度も無かった。日本で初めてアスファルト舗装された道路がお目見えしたのは1878年(明治11年)、東京神田昌平橋。道路を国道、県道、里道と分類することが1876年に法令で決まった後のこと。たった145年前だ。
うちの山へアプローチする道は県道で、1959年(昭和34年)に認定されている。当然アスファルト舗装されているから、車で楽に向かうことができる。以前は砂利道だったのだろうか、ぬかるんで歩けないこともあったのだろうか。道を作るために木を伐ったり場所を整備したり、舗装のために重機を運んだ人もいるだろう。ここに「道」を作っても安全だと測量をした人達もいる筈だ。もしかしたら経験や勘もいるのだろうか? 山は「水の道=水みち」が重要だと聞くから。
すみません! 道はどこにありますか?
2021年7月初旬。ヤマビルファイター(ヒルよけスプレー)を持参して部落の真ん中にある廃校へ向かうと、Kさんはすでに到着していた。「まずはどの山から歩きますか?」一番わかりやすいのは家のあった裏山かな? 長靴にヒルよけスプレーをかけ、歩いて5分。県道は拡張され、約3m高の人工的な斜面=法面(のりめん)が造成されていた。
「ここから山にあがってみましょうか?」法尻(のりじり)のさらに先の電柱を指し、Kさんは言う。当然、人工的な山道は無い。どうやって歩くの?と、頭の中は?だらけだったが、とにかくKさんについていくことにした。山の斜面に分け入る。よいしょっと山の中へ。道路から見ていた以上に急こう配だ。Kさんはすたすたと登っていくけど、私は足をどこに置けば良いか、いちいち確認せねばならない。Kさんが前を歩いてくれるから、かろうじて行く先がわかるけど…なんてイジイジする間もなく、山が目前に迫ってきた。
登るのに必死すぎて足元しか見ていなかった。ふと顔をあげると空気が変わっている。暗い山の中はところどころ光が射し、柔らかな白い照明があたっている。目の前の木肌はゴツゴツしている。影の緑が濃い。
思った以上にしんとしている。風が少し吹くだけで木々が揺れ、葉がざわめく。杉の木の存在感は大きくて強い。垂直に立ち上がっている。動じないという言葉がうってつけだ。身体にまとわりつく暑さはいつの間にか去っていた。汗を心地よく感じる。
生活スタイル、スタミナ、年齢の違い
山は湿った枯葉や倒木で覆われている。下草も雫を垂らしている。ゆえに足元は滑りやすい。枯れ木や草を手に掴みながら、重たい腰をあげて登る。しかし草は手から擦り抜けるし倒木は苔むしているから、アテにならない。足とお腹の踏ん張りが肝心だ。普段、マラソンで10kmは余裕な私だけど、山で使う筋肉は全く違うらしい。息があがる。Kさんは私を気遣い、後ろを振り返りながら登っていく。歩きやすい道を選んでくれていることがわかる。私は必死さを気取られぬよう、黙々と足を運ぶ。息切れの音が大きくなっていく。
やっとKさんに追いついた。「ここは鹿が歩いていた道ですね」と軽々言う。そうか、動物は自ら道を開き、私はそこを辿っていたのか。生き生きと山の中を登っていくKさんが獣に見えてきた。
同じ人間なのに、ここまで違うとは。幼い頃から山の中を駆けずり回っていた20代後半・男性のKさんと、アスファルトの上をランニングし、体力に自信があった筈の40代半ば・女性の私。スタミナのつけ方が根本的に違う。平地で1m歩く感覚と、獣道の1mは異次元の世界。山面(やまづら)を踏み込まねばならない。長靴ではダメだ。踏ん張るための靴がいる。山を舐めていたわけではないけど、想像の域をはるかに越えてきた。
祖父の仕事を見る
「見てください。山川さんのお祖父さんは手入れをされていて枝打ちも定期的にしているから、木が大きい。隣は間伐してないから、木が細い。屋号が書いてなくても、境界がすぐにわかりますね」とKさん。おおーっと唸る私。大きな木がある、というくらいでしか山を見たことがなかった。比較するという初体験。
「昔の家周辺を見てくるので、ここで待っていてください」と言うと、Kさんはさーっと降りていった。スキーヤーのようで、呆気にとられる。「滑るように下るの、怖くありませんか? よくやれますね」と感想を伝えると「いつか木にあたって止まりますから」とケロっと言う。目の前がくらっとした。
「降りて来れますか? 家の跡が残ってますよ」。そろりそろりと足を降ろす。滑ってもいつかは止まるのだろうが、そんな勇気はない。足元はいつも危うい。
登るよりも降りるのに時間はかかったが、小さな平地に出た。家の跡地だ。道の拡張と私の身体の大きさに比例して、昔はもっと広かったのに…と思ってしまう。
鬼瓦が置いてあった。石製で重い。水という字が刻まれている。雨を防ぐ役割だけでなく、魔除けや厄除けのためのもの。どんな想いを込めて文様が刻まれたのだろう。誰も見ることのない建物上部の装飾から、社会の移り変わりを味わうことができる。
山歩きの友は、さまざま…
さて、山を歩くには何を履けばよいだろう? Kさんは昔の人の追体験を目的に、地域の講習会に参加し、自分で作った草鞋を履いて山歩きをしたらしい。草鞋作りにもプロがいて、自身の出来栄えには満足できなかったが、それでも「思っていたより丈夫だった」そう。
以前、祖母から、こんな話を聞いたことがある。
戦後まもない頃、私の祖母は地元で「峠」と呼ばれていた、山深い地域にある山川家へ嫁いだ。祖母は白無垢姿で山道を歩きながら「こんな山道の先に行くんだ」と、泣けて泣けてしょうがなかったそうだ。緑に包まれながらとぼとぼ歩く、新郎新婦とその家族。靴なのか、草鞋なのか、足元は土まみれだろうか。遠くから鳥の声が聴こえただろうか。
私は今も時折、その時の祖母の様子をまぶたに浮かべることがある。
さすがに草鞋は無理だなあ。そういえば、祖父は地下足袋を履いていたことを思い出した。「スパイク足袋が、山歩きには最強ですよ」とKさん。次回の山歩きまでに用意しよう。
15時には下山し、帰途についた。初めての境界歩きが終わり、山ビルに遭遇することもなくホッとして、車のシートに身を任せる。先人達に想いを馳せながら、下道で帰ってみようという欲望が頭をもたげた。長いトンネルを出たあたりでゲリラ豪雨に遭遇。「山歩きの途中でなくて助かった」と思い、アクセルをグッと踏むと…足の筋肉がピクピク。疲れが痺れとして現れたようだ。アクセルが踏めない。
私ってこんなヤワだっけ?と残念な気持ちになりつつ、休憩しながらなんとか帰宅。明くる日、起きたら全身筋肉痛だったのは、ここだけの話。
山川 愛(やまかわ あい)
愛知県在住。公益財団法人かすがい市⺠文化財団プロデューサー。金沢美術工芸大学工業デザイン科を卒業後、アートマネジメントの領域で活動。同財団に入職後は、展覧会や演劇公演の企画・広報、昨今は自分史を始めとした市民との協業事業を担当。2021年から亡き祖父の山に入り、山主として自分に何ができるかを模索している。
あとがきコラム#4 山と絵
源馬菜穂 『山へ』
山歩きを初めてから、心の置き場みたいなものが欲しいと思うようになった。山の課題を知れば知るほど、現実を薄目で見たくなる。でも、それに抗う引力が山にはある。この相反する気持ちを投影できるような、原野みたいな傍え。
一つの絵に出合った。場所は岐阜市内のスペース「ETHICA」。画家の源馬菜穂さんの絵画作品が展示されるという。同時に、源馬さんが長野県岡谷市で営む喫茶「さんとこ」も出張してくるらしい。お手製のお菓子や飲み物とともに、絵も観れるとは! ETHICAのディレクターである山口さんと源馬さんとお話したいなという気持ちがむくむく沸いた。作品を通して、時間と空間を育むお二人と。
ひっそりと壁に掛けられていた、淡い色の小さな絵。真ん中に人が一人。タイトルが偶然にも「山へ」と聞き、ああ、やって来たなと思った。
今は私の寝室にあるこの作品。朝一番に、目に入れている。
ETHICA
さんとこ
山口さんのインタビュー
シリーズ「山って…何なん?」 と何度もつぶやくことから始まった、山主候補生の活動日記
「山って…何なん?」 と何度もつぶやくことから始まった、山主候補生の活動日記
祖父が残した言葉をきっかけに、山へ通いはじめた「私」。祖先が守ってきた山とは、何なのだろう。
爺さまが残したもの
[新連載] 2020年の春、爺さまが亡くなった。最後の言葉は「山は、もう、いい」だった。
ところで…「山」ってどこにあるの?
祖父と過ごした思い出の山はどこにあるのだろう? 行けば「うちの山」ってわかるのだろうか?
山の境界を歩く(1)
静岡県浜松市の水窪町で出会ったのは、自伐林家に生まれ、山と共にいきてきた一人の若者だった。
山の境界を歩く(3)
相続する山がどこにあるのか、境界線がどこなのか。山を歩き、県庁を訪ねてわかってきたその全貌とは?
境界を知って、そして
山へ通うようになって3年、境界を歩いたからこそ見えてきた、次の道とは?
もう、欲しいものなんて無い
山を相続した私は、木を伐ることを学び始めた。その営みと共に、出会いや別れも訪れる。
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