台湾の森林史
人々の暮らしや民族文化、経済と深く関わってきた台湾の森は、その時代の台湾を映し出す鏡のようなもの。台湾の森林史を紐解けば、激動の時代の中で、森林と共に生きてきた台湾の人たちの軌跡が見えてきます。
先史時代〜清朝末期
原住民によるサステナブルな森林管理

台湾の森は、先史より台湾に暮らす原住民族によって守られ、彼らの独自の文化や精神と深く結びついてきました。彼らは森を精霊が宿る神聖な場所として守りながら、森林資源を活用し、持続可能な森林管理を実践してきました。17世紀に入ると、低地の平地林では移民による開拓が始まりました。19世紀の清朝末期になると、防虫剤などに使われる樟脳が、茶、ショ糖と並んで台湾の三大輸出品となり、原料となる天然クスノキ(樟)が伐採されました。しかし高地の山林は原住民によって守られ、移民による乱伐・乱開発を防ぎました。
日本統治時代〜終戦(1895-1945)
日本の台湾総督府による大規模森林開発

日本統治時代になると、台湾総督府は原住民の居住地であった森林を接収し、山林調査を開始しました。阿里山でヒノキの大森林が発見されると、大規模な森林開発を計画。1912年に阿里山鉄道が開通すると、タイワンベニヒノキやタイワンヒノキの伐採・開発が本格的に始まり、阿里山から輸送された木材は、日本の神社仏閣の建設や修繕にも利用されました。またその一方で、1899年には樟脳と樟脳油の生産を直接管理する「樟脳専売制度」を公布。クスノキの伐採と植林が行われました。その後、日本の植民地政府による森林開発は第二次世界大戦が終戦するまで約50年続きました。
戦後〜1980年代
森林開発から環境保全へ

戦後、日本の台湾総督府によって国有化された森林は、そのまま台湾政府に引き継がれ、原住民による森林利用権が制限されました。1950年代から1980年代には、日本統治時代より大規模な森林開発が行われました。しかし乱伐・乱開発が進むと同時に、山地での果樹栽培やダム開発も行われ、天然林の減少や生態系の破壊が深刻化。土砂災害などの災害リスクが表面化し、森林開発から森林保全への政策転換が模索されました。
1990年〜2016年
環境保全と林業の衰退

1980年代の環境意識の高まりを受け、1990年に樹齢100年を超える樹木の伐採を禁止。1991年には天然林の伐採が全面禁止となりました。1996年には台風による甚大な土砂災害をきっかけに「全民造林運動」を開始し、5年間で50,060haの植林を目指しました。森林保全活動が進むと人工林の活用も消極的になり、台湾の林業は一気に衰退。木材自給率が落ち込み、人工林の荒廃を招きました。さらに、原住民の文化の衰退や、熱帯諸国の天然林への依存など、課題にも直面することとなりました。
2017年〜
政府と原住民の協働による持続可能な森林管理

2017年に「国産材元年」を宣言。当時わずか0.5%まで下がった木材自給率を向上するための施策として、原住民の森林資源利用の権利を回復し、政府と協働で持続可能な森林経営と循環型経済の実現を目指す政策転換を図りました。森林伐採に懸念を持つ環境団体や社会の理解を得るため、国際的な森林認証制度であるFSC(Forest Stewardship Council:森林管理協議会)のFM認証の取得に着手。2018年には台湾初のFSC認証林が誕生し、2024年12月には台湾当局が管理する森林の100%がFSC認証を取得するという、アジア太平洋地域初の快挙を達成。2027年までの国産材自給率5%の達成を目指し、国産材の活用と持続可能な森林管理の実現に向けてさまざまな取り組みを進めています。
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